よく起こるのは、「無作為化試験の実験計画に手慣れたお前たちが民間療法を進んで試験にかけろ」という要求です。ところが一見して根拠薄弱な、おびただしい数の民間療法の類いを一々もっともらしい臨床試験にかけていたら、研究者の体や時間がいくつあっても足りないという答が返ってきます。正統派医学の方は動物実験という段階がありますから、そこで有望らしいと一応認定された物質を次のステップとして厳密に設計された無作為化試験にかけることによって交通整理が可能なのですが、民間療法の類いは偶然性と心理効果とカリスマ性の渦巻きの中での主張ですから、医学研究者たちが手をつけようにも差し当り一定のよりどころがないわけです。その中にダイヤモンドがないとはいい切れませんが、それを探していては、あまりに大きな時間と学問的エネルギーの浪費に終るおそれがあるのです。したがって東洋医学や民間療法を全面的に否定するわけではないにしても、重大な病気の場合のメリット、デメリットとも比較的素性の知れた現代医学にまかせた方がはるかに安心だということになるでしょう。抗結核薬が発見される以前、結核の治療のためには安静療法と栄養療法とを気長くつづけるしかなかった時代、数多くの民間療法が次から次へと現われて、結核患者とその家族にはかり知れない精神的動揺と経済的負担を与えたことを思い出さないわけにはいきません。