アディダスとプーマは兄弟ブランドだった

2011.05.26

3本ラインでおなじみのスポーツウェアが(ADIDASアディダス)。とくに日本では、サッカー少年たちがこのブランドのシューズを愛用するだけでなく、最近ではパンツもトレーナーも、ジャージーもグラウンドコートも、そしてバッグやリュックにいたるまで、袖に3本線、あるいはロゴマークの3本線に三角形のワンポイント。サッカー強国ドイツの製品だから、充実した品ぞろえも当然と思えるのだが、サッカーシューズで、このアディダスと人気を二分するのが「PUMA」(プーマ)。アディダスブームよりひと足先に、ヒョウのような動物マークの入ったスポーツバッグやソックスに若者が熱狂した時代があった。このプーマもまた、ドイツのブランドである。この両社、じつは本当の兄弟がおこした、文字どおりの兄弟ブランドである。アドルフとルドルフのダスラー兄弟は、製靴業の盛んな町バイエルン地方のハルツォーゲンアウラッハに生まれ、家業の靴づくりを見て育つ。スポーツ万能だったアドルフがスポーツシューズづくりに力を注ぎ、彼のつくる靴は、ニックネームの「アディ」から、「アディのシューズ」として評判を高めていった。そして、兄弟でダスラー兄弟商会をおこすのが1920年のことだ。体操シューズやランニングシューズ、テニスシューズなどで世界に進出した。そして、1929年には釘留めスクッド付きサッカーシューズを世に送りだした。ダスラー兄弟商会は、五輪選手の靴を手がけるまでに成長するのだが、第二次世界大戦によって仕事が中断させられてしまう。靴の製造工場で兵器がつくられる……ナチスドイツ時代の到来だった。戦後になって兄弟は別々の道を歩くことになった。アドルフの会社がアディダス社を名乗り、ルドルフはプーマ・ルドルフーダスラー製靴産業として、それぞれが独自のスタイルでスポーツシーンに協力しようとしたのである。とくにプーマは、絶賛を浴びていたサッカーシューズにとどまることなく、ルドルフの息子によって、あらゆるスポーツに対応して世界進出を試みる。社名からして、南北アメリカにしか生息しないピューマ”の名を冠したところに、世界への心意気があらわれているといえるだろう。